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産科麻酔とインフォームドコンセント
はじめに
インフォームドコンセントに関する1990年1月日本医師会生命倫理懇談会の「説明と同意」についての報告では日常診療における「説明と同意」とは,医師の患者に対する説明と,患者がその説明を理解・納得した上で,患者が同意することをいう。さらに医師の説明とは,医師が患者にわかりやすく,患者が理解できる言葉で,病状,診断,予後,および治療方法などについて説明することである。患者の同意とは,医師がとろうとしている処置について,患者が理解・納得して,承諾することであるとされている。また平成2年版の厚生白書にはインフォームドコンセントとは,医師が患者に対して診療の目的・内容を十分に説明して,患者の同意を得て治療することとされている1)。ここで大事なことは医師が患者の知識に合わせて平易な言葉で説明することと,患者に,患者の持っている不安を医師がしっかりと受け止めていることをわかってもらうことである。
近年,分娩様式が多様化,分娩体位,形態,和痛,陣痛軽減,など分娩の各分野でさまざまな選択肢が用意されている。特に陣痛軽減法としての産科麻酔には経膣分娩における硬膜外麻酔,脊髄くも膜下麻酔,バランス麻酔,陰部神経ブロックがあり,一方,帝王切開手術における脊髄くも膜下麻酔,硬膜外麻酔,吸入麻酔等がある。本稿では当院で実施中の硬膜外麻酔分娩施行時におけるインフォームドコンセントの実際を解説する。
我が国では硬膜外麻酔分娩を実施している施設はほかにも多々あるが,総分娩数に対する硬膜外麻酔分娩実施の割合は決して高いとはいえない。
しかし,当院における2004年度の分娩数 397名のうち予定帝王切開 15名を除いた
382名中の 370例 ( 96.9% ) が硬膜外麻酔分娩であった。当院での硬膜外麻酔分娩が多いのは,当院では
1988年より硬膜外麻酔分娩を開始してきたが,当初より,前述のインフォームドコンセントの真意に沿った説明により,硬膜外麻酔分娩についての十分な理解を得,
また,当院における硬膜外麻酔分娩に関する安全性の実績に対する信頼が硬膜外麻酔分娩の高い実施率に表れているものと考えている。
当院での硬膜外麻酔分娩におけるインフォームドコンセント
当院ではすでにインターネットのホームページにおいて硬膜外麻酔分娩に関し,ある程度まで説明しており,それを閲覧した上で来院される方も多く,また当院で硬膜外麻酔分娩を経験した方の紹介でこられる方も多く,当院受診中の妊婦のほとんどは当院が硬膜外麻酔分娩の施行施設ということを知っておられる。
分娩を希望される方にはまず初診時に,一般論としてわかりやすく硬膜外麻酔分娩を紹介してある週刊朝日(平成11年10月22日号先新医療PART15,平成12年11月
10日号メディカルトーク) のコピーを手渡し,各自で一読するように指導している。
妊娠 4カ月と 妊娠 8カ月の2回の母親教室においては硬膜外麻酔分娩希望者に筆者が本法の説明を行っている。これは筆者の一方的な説明ではなく参加者全員に質問をしてもらい,また硬膜外麻酔分娩経験者がその場にいれば率直な体験談を話してもらうことにしている。一方,外来妊婦健診時には前述の二度の硬膜外麻酔分娩の説明にさらなる追加質問のある場合には随時,個々に説明を行いつつ,本法施行決定に関して,分娩開始時期まで十分な時間的余裕を配慮する。もちろん,硬膜外麻酔分娩を希望していない妊婦につぃては特に硬膜外麻酔分娩を勧めることはせす,あくまでも本人の自己決定を優先する。
当院では事細かに専門用語を駆使した形式の同意書は採用せず,分娩申込書に含めて受けてきたインフォームドコンセントの上,硬膜外麻酔分娩を希望するか,しないかとした項目を自己決定で選択してもらっている。同意書として当院では現在このような簡易形式のものではあるが,
これはあまり字句の多い難解な形式を採用しても,筆者,患者ともども肩の張った抵抗感が漂い,かえって円滑な本法施行の妨げとなる場合が考えられたため,個々の詳細説明に関してはむしろ同意書には盛り込まず,前述のごとき定期の母親教室や,随時の外来診察において,口頭でわかりやすく説明することとしている。
しかしながら昨今のインフォ―ムドコンセントに対する趨勢等を勘案すれば今後,当院でもさらに踏み込んだ内容記載の同意書が必要である時期かと考えられる。
硬膜外麻酔分娩のインフォームドコンセントの要点
1.なぜ硬膜外麻酔は有用か
従来,日本においては,分娩は自然体であるべきといわれているが,根拠に乏しく,
また難産による過酷な状態では,苦痛は産婦の体力を著しく消耗し,その後,長期にわたる育児や次回妊娠に支障をきたす場合がある。この意味から分娩時の苦痛を軽減することは産後の健康を保持する上で非常に重要であると考えられる。
2.硬膜外麻酔の方法
腰を丸めて2カ所( L2〜3 と, L4〜5 ) に針を刺し細いカテーテルを留置する。上方は子宮頸管が開大する分娩第1期,下方は娩出時の分娩第2期の痛みをとるものである。麻酔開始は産婦が陣痛を苦痛と感じ始めた時で,緩和された陣痛が再度,痛み出したら留置カテーテルから麻酔薬を注入する。
3.硬膜外麻酔の分娩への影響
麻酔による陣痛強度の低下により,分娩時間が長引き吸引や鉗子分娩・帝王切開が増加するといわれているが,筆者の
2,742 例の硬膜外麻酔分娩の報告2,3)では,吸引や鉗子分娩はやはり多少増加傾向は認めたものの帝王切開術率はむしろ減少していた。
低濃度麻酔薬( 0.125 %塩酸ブピバカイン)とクエン酸フェンタニールの併用で分娩第1期には歩行が可能であり,また分娩第2期において,分娩遷延する場合は,子宮内圧測定用オーブンカテーテルを装着した上でオキシトシン
1 単位の点摘を行う。
4.硬膜外麻酔分娩が児に及ぼす影響
直接的影響として局所麻酔薬によるものとオピオイドによるものとか想定されるが,硬膜外膣に投与された低濃度局所麻酔薬による児への神経行動学的影響を認めたとする報告は現在のところない。
フェンタニールは胎盤通過性が高いが,児の呼吸抑制や神経学的適応能力スコアの低下は認めず,影響はないと考えられる4)。
他方,硬膜外麻酔の効用として,痛みの軽減は分娩への恐怖や分娩時の痛みから生じる血中カテコラミン上昇による子宮胎盤血流の減少を防ぐ。
さらには,子宮胎盤血流の悪い妊娠高血圧症,糖尿病,心疾患合併妊婦の経膣分娩の場合,本法が有用であると考えられる5)。
5.硬膜外麻酔分娩の合併症とその対策
1) くも膜下誤注入
硬膜外針で硬膜を穿刺した場合は硬膜外針より脳脊髄液が流出することで診断できるが,カテーテルの先端がくも膜下腔に迷入することがある。これに気付かず麻酔薬注入を続けると高位麻酔のためショック状態になり,時には全脊椎麻酔となり,呼吸停止をきたすなどの重篤なな状況にいたる場合がある。予防として
1回の麻酔薬注入量を 3ml ずつに止めることである。注入後数分で下肢か動かせなくなったときはその後の注入を止めれば全脊椎麻酔になることはない。
2) 血管内誤注入
硬膜外針やカテーテルでの静脈穿刺は一般に数%の頻度があるとされる。カテーテル挿入後には血液の吸引がないことを確認するが,血液が吸引されなくても経過中にカテーテルが血管内へ迷入する場合がごく稀にあるといわれている。
予防にはやり,1回の注入量を 3ml ずつに止め,患者に金属味や耳鳴りがないことを注意深く確認する。
3) 硬膜外血腫
カテーテルの挿入あるいは抜去時に硬膜外膣に血腫を生じ脊髄を圧道する。頻度は非常に少なく
5〜20万例に 1例とされている。
症状は背部痛が必発で下肢の感覚低下から運動麻痺へと進行する。直ちにMRlを行い診断がつけば減圧目的の緊急椎弓切除と血腫除去を行う。
4) 硬膜外膿瘍
硬膜外膿瘍は産科麻酔では非常に稀であるが,カテーテル挿人時の消毒を確実に行い滅菌手袋,帽子,マスクの着用が推奨される。
症状は背部痛に始まり発熱,神経根刺激症状から筋力低下,膀胱直腸障害,知覚障害に進みついには脊髄麻酔にいたる。診断はMRI
が有効である。
5) 硬膜穿刺後頭痛
術者の経験により硬膜穿刺の発生頻度は異なると思うが,筆者の場合は 1/1,500回
くらいであった。麻酔施行中患者が急に動いたときに起こりやすいが,皮膚から硬膜外控までの距離は個人差があり,いつもと同じようにやっていても硬膜を穿刺してしまう場合もある。
硬膜外針で硬膜を穿刺してしまった場合,硬膜穿刺後頭痛 ( PDPH ) は 90%に発生するといわれている。治療はベッドを平らにして安静を保ち非ステロイド性抗炎症薬やカフェイン飲料で経過観察する。これらで改善のみられない場合は硬膜外血液パッチの適応となる。10〜15ml
の自家血を硬膜穿刺部位の硬膜外膣にゆっくり注入する。血液パッチの効果は劇的で30分の安静後は立位でも症状は消失する。
6 ) 血圧低下
硬膜外麻枠開始直後は,交感神経が遮断され血圧低下が起こりやすい。血圧低下は胎児心拍数の低下など胎児に悪影響を及ぼす可能性がある。また硬膜外麻酔分娩中は仰臥位低血圧症候群を防ぐために仰臥位にはしない。薬液注入直後も右腰に枕をはさみ 15度くらい傾ける。硬膜外膣への局所麻酔薬の初回投与後は血圧を 5分間隔で 30分間測定し,局所麻酔薬追加投与時も同様に血圧測定する。血圧低下時は輸血投与,塩酸エフェドリン静注を行う。実際には筆者の使用量 ( 0.125%塩酸ブピバカイン 5〜10ml ) では脊髄くも膜下麻酔時のようにショックを起こすような血圧低下はなく,発生しても軽症の場合が多い。
これらが筆者の行う硬膜外麻酔分娩に関するインフォームドコンセントの要点であるが,随時,患者の質問を挟みつつ対話形式で進めている。
おわりに
従前よりお産は痛くて当たり前,自然が一番といわれているため,妊婦は痛みを我慢して分娩しなければならないと思い込んでいる人か多い。痛みに対する恐怖感や体力の消耗等を考え合わせると,
これをただただ甘受しなければならないとした一種の偏見を解決するためにも無痛分娩施行についてのインフォームドコンセントの重要性を痛感する。筆者はインフォームドコンセントにおいて平易な言葉で要点を十分に説明し,また疑問に十分に答えて納得と安心を得ることにより,多くの妊婦は硬膜外麻酔分娩を希望し,受け入れていただいている。
当院では出産時,夫も立ち会い談笑しながら,経産婦の場合は同胞の誕生を期待する子どもにも囲まれてなごやかにお産を体験することを信条としているが,
これも硬膜外麻酔分娩だからこそである。このような硬膜外麻酔による安寧な状態での分娩が広く行われることで,一人でも多く妊婦の分娩における不安と苦痛を軽減できることを望んでいるが,同時にこのことが我が国における少子化の歯止めの一助となればと併せて切望するものである。
文献
1)山口光哉:産科における医療事故とインフォームドコンセント,佐藤和雄,水口弘司編:インフォームドコンセントガイダンス−周産期編−,先端医学社,東京,p44,2000
2)松岡謙二:硬膜外麻酔分娩を行うと鉗子分娩,吸引分娩が増えないのですか.臨床婦人科産科 無痛分娩・和痛分娩ガイダンス58:460-461,2004
3)松岡謙二:硬膜外麻酔分娩を行うと帝王切開が増えないのですか.臨床婦人科産科 無痛分娩・和痛分娩ガイダンス58:462-463,2004
4)照井克生:硬膜外麻酔分娩−安全に行うために.南山堂,東京,p79-80,2003
5)奥富俊之:無痛分娩の効用について教えてください.臨床婦人科産科 無痛分娩・和痛分娩ガイダンス58:368-369,2004
周産期医学 第35巻 第5号 2005年5月より
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